きっかけは、僕がSMの関係を持つ女性との会話だった。その女性は起きた時刻、着けた下着の色、その日の予定。3行だけの短い文章を送らせている。 ある日彼女は言った。「裸でひざまずいている時より、この3行を送るときのほうが指が震えた」と。
僕はその言葉が、しばらく頭から離れなかった。
部屋を出れば夜の調教は終わる。翌日になれば彼女はビジネスパーソンとしてふさわしい服を着て、電車に乗り、会議で意見を言う。彼女は元の彼女に戻れる。 けれど、僕に対する朝の報告は、日常生活のなかでSMの関係性をゆるやかに意識させる。 化粧をする前の、まだ誰にも会っていない時間に「自分のプライベートな部分を管理されている事実」を自分の手で確認するのだ。指が震えたのは、そのせいだろう。
Xにも似た声が並んでいる。「痛みより、生活を管理されたい」「24時間、相手のものでいたい」。
僕の考えでは、彼女たちが預けたいのは身体ではない。1日のなかの小さな決めごとだ。
何時に寝るか。何を着けるか。今夜、自分自身を慰めて良いのか。どれも大人ならひとりで決めていいことだ。ひとりで決めていいを決められる。それこそが「尊厳」だ。 しかし、SMでは「尊厳」を一時的に差し出す。それは「痛み」や「刺激」よりも心に残る。そして差し出したあとは、ずっと楽になる。僕が見てきた女性たちは、そう話す。
責任のある立場にいる人ほど、誰かに許可をもらう経験から遠い。
彼女は「寝てもいいですか」と僕に聞く。僕は「いいですよ。おやすみなさい」と返す。それだけで肩の力が抜ける、と言う。 自分の尊厳を差し出す時間が、1日のなかにほんの数分だけできる。
SMの関係がお互いの生活を壊してしまうことは当然しない。仕事も、友人も、お金も、一線を引いている。一線を超えた先に僕は影響を与えない。
しかし、SMの関係は日常の中にじんわりとしみ出すかもしれない。 想像してほしい。あなたやあなたの友人が、例えば「今日の下着を決める権利」すら手放している可能性があるのだから。